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(利尻島)夏だけではない冬の利尻島の魅力を伝えたい。 山も海も楽しみ尽くした今、思うこと。【another life. 国境離島の暮らしCH】

2019年7月5日

another life.

北海道の利尻島でペンションを経営しながら、自然ガイドも行う渡邉さん。中学卒業後に島を出て、サーフィン三昧の生活を送った渡邉さんが、Uターンして見出した故郷の魅力とは。お話を伺いました。

●山も海も好き

北海道の離島、利尻島で生まれました。親は自営業で色々な仕事をしていました。僕もよく手伝いをしていて、船のエンジンオイルを交換したり、工具を持っていったりしましたね。

小さい頃から活発な性格で、家にはほとんどおらず、いつも外で友達と遊んでいました。海岸線を歩いてみたり、崖を登ってみたりしましたね。あとは、わざと天気が悪い日に海を見に行って、波のサイクルを学んだりしていました。

夏の楽しみは海ですが、冬は雪山でのスキーが最高です。リフトは付いていませんでしたが、近くのスキー場でいつも滑っていました。

中学卒業後は、旭川にある電気関係の高専に進むことにしました。近所の先輩が進学していたので勧められたんです。

ところが、高専での勉強は、全くおもしろくないんです。専門的な用語ばかりで難しく、どうしても好きになれませんでした。

3年生の時、たまたまサーフィンを紹介するテレビ番組をみました。やってみたいと思い、早速サーフィンの盛んな留萌という地域に行って挑戦しました。波に乗ろうとするんですけど、全然うまくいかないんですよね。僕はとりわけ不器用では無かったですが、サーフィンだけは全く上達しないので悔しくて。その悔しさからどんどんのめり込んでいきました。

● サーフィンをやり続けるための選択

高専時代、週に4回くらいは海に行っていましたね。それでも物足りず、もっと波乗りを楽しみたいと思い、高専は中退することにしました。19歳、あと1年で卒業というタイミングでしたが、我慢できなかったんです。

知り合いに「湘南の海は温かい」と聞き、友達と二人で湘南に移住することにしました。いずれは利尻に戻ろうと思っていましたが、しばらくはサーフィン三昧の生活をしようと思いました。どうせいつか戻るなら、楽しまなくちゃって思ったんです。25歳までには利尻に戻ると決めて、サーフィン中心の生活が始まりました。

工場で夜勤のアルバイトをして、夜勤明けに海で波に乗り、午後は寝る。そんな生活を続けました。飽きることはなかったですね。やればやるだけできることが増えて、どんどん上達するんです。

ただ、プロになるほどの実力でないとは分かっていました。プロになる人は、子どもの頃からサーフィンをやっているので。僕は目標もなく、とにかくうまくなりたい、飽きるまでやりたいと思っていました。

ところが、2年ほど経った時、家業の人手が足りなくなってしまい、利尻に戻されることになりました。仕方なくUターンしましたが、一緒に波に乗る友達もおらず、早く島から出たいと思いましたね。

● 飽きがこないサーフィンの楽しみ

それから3年ほどして、東京のサーフショップで働かないかと誘いがありました。ちゃんと働く場所があることを口実に、島を出ました。24歳の時です。思いがけず数年間を利尻で過ごしたので、今度は30歳までに利尻に戻ると決めました。

サーフショップで働き始めてからも、生活の中心はサーフィンです。毎日早朝から仕事前にサーフィンをして、お昼前からサーフショップで働きました。サーフィンを教えたり、ボードを売ったりするのが仕事でした。

サーフィンは飽きなかったですね。スキーとかスノーボードだと、斜面があって天気さえ良ければ、いつでも滑れるじゃないですか。でも、サーフィンは波がないとできません。下手したら、1週間できないこともあります。

それだけ辛抱して波を待ち、乗れたら最高じゃないですか。しかも、同じ波って二度となくて。一度きりの瞬間を楽しめるのが好きでしたね。

サーフィンをするために、海外にもたくさん行きました。特に、インドネシアがお気に入りでしたね。日本だったら年に1回立つかどうかのいい波が、毎日のようにありました。

いい波っていうのは、ただ大きいだけじゃありません。まるで機械で作ったかのように、綺麗な波ができるんです。何時間もかけて海外まで行って、いい波に乗れたときは最高ですね。

● 利尻島に戻る

利尻に戻ると決めていた30歳になる頃に、茅ヶ崎の空きテナントでサーフショップをやってみないかと誘われました。それで、茅ヶ崎で店を始めました。特に不安もなく、サーフィンをやりながら仕事をする生活を続けました。

その後34歳で利尻島に戻りました。そろそろ利尻島に戻る時だと感じていたんですね。

戻ってからは、父の仕事や母の民宿を手伝いました。民宿に泊まりにくるお客さんの多くは、登山客でした。その影響もあって、本格的に山岳ガイドの勉強を始めました。

久しぶりに利尻に住み始めて、自分の自然の捉え方が変わったことを感じましたね。昔は気づかなかった自然の良さに、気づけるようになったんです。花が綺麗とか、それまで思ったこともありませんでしたから。

あとは、山を見る目も変わりました。サーフィンをしていると、基本的に自分で天気を読めないと、いい波が来るか判断できません。毎日天気予報を見るのが染み付いていたのですが、それって山も同じだと気づいたんです。天気図を見て予測を立てながら、どのルートを通ると良いとか、冬だったらどこに雪が降るとか、そういうのを考慮しながら山に入るのが面白かったですね。

ガイドや親の仕事を手伝いながら、2011年に新しいペンションを建てました。母が経営する民宿は古かったし、食事をするスペースがなくてわざわざ別の場所まで食べに行ってもらっていたんですよね。それなら新しい宿を作ろうということで、食事を提供できることや露天風呂などにこだわって、形にしていきました。

● 自然ガイドを通年稼げる仕事に

現在は、ペンション「レラモシリ」を運営しています。自然ガイドも続けていますね。個人的には、夏だけではなく冬に利尻に来てくれる人を増やしたいと考えています。夏はたくさんの観光客が来るのですが、冬はからっきしなんです。

でも、冬の利尻も、本当に魅力的なんです。雪が積もると、山の頂上から海まで真っ白になります。海から山までが継ぎ目なく雪で覆われる景色って、世界中見渡しても、なかなか見られるものではありません。

冬は吹雪いて過酷だというイメージが先行しちゃっていますが、冬でも穏やかに晴れる日はありますし、逆に夏だって過酷な日はありますからね。天気なんて運次第です。もちろん、夏は山で遊んだり、カヤックをしたり、楽しみ方はたくさんありますが、冬も知ってほしいです。

最近では、冬の利尻の魅力を知ってもらうために、ドローンを使った空撮映像なども作っています。利尻の雪山は、バックカントリーをするのには最高なんですよね。

近年は、動画を見てヨーロッパの人が、冬の利尻を滑りに来始めました。冬に来る観光客の8割方は外国人です。稚内から来た人も「こんな近くにこんなすごい場所があるとは知らなかった」って言うほど、スキーヤーにとっては面白い場所なんです。冬の利尻を知ってもらい、もっと多くの人に訪れてほしいです。

僕は、利尻島が大好きです。山があって海がある。娯楽施設はないけれど、自然に囲まれているこの島は、特殊な場所だと思います。冬の山のてっぺんから見る景色は、満天の星空に加えて、真っ白な雪景色と海が見えて、本当に最高です。

島は一周しても車で1時間くらいしかかかりません。絶景がある場所まですぐにいけるって、大きな魅力だと思います。

ただ、利尻島も人口はどんどん減っています。個人的には、移住者を増やすよりも先に、島の人が外に出るのを防ぎたいと考えています。みんな「仕事がないから戻れない」と言うので、産業を作ることが大切ですね。

例えば、自然ガイドを仕事の一つにできればと考えています。今までは、ガイドは夏しか仕事がなかったので、それだけで生活するのは難しかったんです。しかし、冬の利尻にも人が来てもらえるように動くことで、ガイドが通年稼げるようになると考えています。

まずは、北海道の人に来てもらえるようにしたいですよね。今は、関東の人を利尻に呼ぼうっていう考えの人が多いけど、札幌の人の方が来やすいんですよね。費用も全然違います。

東京から来れる人って、お金も時間も余裕がある高齢者になりがちです。それよりは、近くてお金もかからない北海道の人に来てほしい。年に1回来る東京の高齢者の人だけでなく、年に数回来る北海道の若い人に増えてほしいです。

理想としては「今年どこに行こうか?利尻かな?」という人ではなく、「利尻に○○をしに行く」という人を増やしたいですね。観光旅行ではなく、目的旅行の場所にしたいんです。

これからも、僕が大好きな利尻島の魅力を、一年まるごと知ってもらうために動画を活用したり、色々やっていきたいです。

作成日:2019年07月04日

渡邊 敏哉/ペンション運営・自然ガイド

利尻島にてペンション「レラモシリ」を経営する。

 

 

この記事は「another life. 国境離島の暮らしCH (外部サイト)」より転載しています。

 

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