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(八丈島)私のクレアナとラウリマは八丈島にある! 大切な島の文化を失わせないために。【another life. 国境離島の暮らしCH】

2019年7月31日

another life.


東京の八丈島にて「ロミロミ」というハワイアンマッサージのセラピストをしながら、ハワイと八丈島を繋ぐ活動に力を入れる栗田さん。最初は「観光地化され過ぎている」と感じたハワイに、なぜのめり込んだのか。また、移住者として島で暮らす栗田さんが感じる「アウトサイダーの役割」とは。お話を伺いました。

 

銀行をやめて挑戦する

東京都大田区で生まれました。小さい頃から、ひとつのグループに属さない子どもで、あっちの子と遊んだら今度はこっちの子と遊んでといった性格でした。いじめられたこともありましたが、別のところで友達を作ればいいと思ったので、あまり苦にはなりませんでした。

運動が好きで、バスケットボールは長く続けました。高校生になってもバスケ一筋でしたが、現役絶頂期の高校2年生の時、突然、マネージャーになるように言い渡されました。怪我もしてないし、まだやれると思っていたので、驚きましたし、挫折感を味わいました。

コーチに対して憤りもありました。何も話してくれず、なんで突然マネージャーになるように言われたか分かりません。その日から他校の試合に連れ回されて、戦い方を一緒に考えるハメになって。全く理解できませんでした。

それでも、やめようとは思いませんでした。どんなに大変でも、あまり苦に思わない性格なんですよね。つらいと思っても、後になって振り返ると何でもないことが多いですから。マネージャーの役割に慣れるまで、毎日泣きながら食らいつきました。

後になって、コーチは「選手の身体のケアをしながら戦略を立てる役割」を私に求めていたと分かりました。私の特徴から、それが得意だと思ったようです。コーチに鍛えられた力を元に、高校卒業後はバスケットボールチームを持つ銀行に就職して、マネージャーとしてチームに入りました。

バスケは面白かったですが、日々の銀行業務は退屈でした。お金を数えるのがとにかく苦手だったんです。息抜きでダイビングを始めると、次第にダイビングの方が楽しくなってしまいました。そこで、銀行は2年でやめて、ダイビングのインストラクターになることにしました。

スポーツ推薦で入社した会社なので、私が仕事をやめたら後輩の道を断つことになります。やめていいのか悩みましたが、高校時代のコーチに相談すると「お前の人生だから、好きにしたらいい」と言ってもらえて、踏ん切りがつきました。自分が本当にやりたいことをやろうと思えたんです。

全力を発揮できる八丈島の海が好き

ダイビングのインストラクターになるため、友人にダイバーの聖地だと勧められた、東京の伊豆諸島にある八丈島に住み始めました。一度ダイビングに来たことがあるだけの場所でしたが、住み始めてみるとすごく面白かったです。岩礁が続く海は複雑な地形もあり、沖縄のようなサンゴ礁の海とはまた違って、学びがいがありました。また、職場の同僚や島に暮らす人は面白い人ばかりでした。

みんな、私にないライフスキルを持っているんですよね。潜って魚を取るとか、森の中で木を切るとか、船を操縦するとか。面白くて、いろんな人について回っていました。島の子どもは、高校を卒業すると島外に出てしまうので、私くらいの年齢の人は島では珍しくて、可愛がってもらえました。

ダイビングの仕事は、バブルの影響ですごく順調でした。ただ、飛行機が飛ばないような悪天候の日は、とにかく暇でした。やることがないのに、お店にいなければならないのが本当に苦痛でした。雇われの身なので、そんなに自由はありません。まるで飼い殺しにされているような感覚でしたね。

八丈島に来て4年ほどした時に、勤めていたダイビングショップの大元が倒産しました。私は、インストラクターの中でも高いレベルの資格を持っていたので、いろんな国で働けるような状況でした。そこで、世界最大のサンゴ礁があるオーストラリアで、インストラクターをすることにしました。自分のことを知っている人が誰もいないような場所で、経験したことがないようなサンゴ礁の海を泳ぎたいと思ったんですよね。

英語が全然わからなかったのでだいぶ苦労しましたが、オーストラリアでのダイビングも楽しかったです。ただ、なんとなく、八丈島の海に戻りたいとも感じていました。八丈島と比べて、オーストラリアの海は穏やかで、自分の力を4割くらいしか使わないで仕事ができちゃうんですよね。

それに、日に60人近い人のガイドをしていると、まるでロボットみたいに同じ対応をしている自分がいて、それが嫌でした。オーストラリアでの仕事に、あまり魅力を感じなくなってしまったんです。ビザが切れるタイミングで八丈島に戻り、そのまま定住することに決めました。

その後、ダイバーと結婚して、ダイビングショップを始めました。全く資金がない二人が借金を背負ってゼロから始めたので、大変でした。それでも、建物も新しく建てて、自分たちなりのアイディアを出しながらやれたのは、楽しかったですね。

八丈島には、すでに40近いダイビングショップがあったので、差別化が重要でした。他のほとんどのお店では、ダイビングの資格を持っている人向けのガイドをしていたので、私たちは、初心者向けにダイビングの資格講習もやりました。他に、宿泊施設も運営したり、とにかく新しいことにチャレンジしました。

ハワイの生き方に共感する

八丈島で海にもぐれないシーズンは、お客さんを北海道のアイスダイビングや海外の海に連れて行きました。オーストラリア、マレーシア、モルディブ、ハワイなどに行きましたが、ハワイは好きではありませんでした。観光地化されていて、誰でも彼でも来る雰囲気が苦手だったんです。ただ、何度か足を運んで観光地のワイキキ以外を見るうちに、ハワイが好きになりました。乗馬をしたり、マウナケアの山に登ったり、田舎を見たりしていると、自然のスケールの大きさを体感できるんです。

ハワイの伝統的な踊りであるフラを習い始めてからは、ハワイにより一層ハマりました。ハワイの人の考え方に惹かれたんです。

例えば、ハワイの人って信念にしているものがいくつかあるんです。信仰対象の神様が大勢いて、人ではなくて自然の神様なんですよね。それって、日本の八百万の神と全く一緒じゃないですか。

また、土地や物を所有するという概念が一切ないんですよね。「次世代に繋げるための現在の管理者」みたいな捉え方なんです。

あと、「クレアナ」と「ラウリマ」という概念をとても大事にしています。クレアナというのは「自分が生まれてきた役割や責任」という意味で、みんな人生のクレアナを探しています。ラウリマは「協力する」という意味で、家族や仲間、地域に還元できることを最大化していこうと考えがあります。

これらの考えにすごく惹かれたんですよね。原点回帰じゃないですけど、人として、とても自然なことに感じたんです。また、ハワイは多民族が住んでいるのに、争いが少ないところも好きです。アメリカの中で、唯一戦争がない州と言われることもあります。

そんなハワイの人たちが、日系の人たちを尊敬しているという話をしてくれると、日本人で良かったなと思いました。ハワイの考え方が日本ととてもよく似ているなと思い、興味のあったフラをこの島で習いたいと先生を探しました。特に八丈島は、環境も似ているし考え方に共感するところもたくさんある。マウイ島と姉妹都市ということもあり、フラを通してハワイと繋がれると思ったんです。

ただ、私が田舎もので知らなかっただけで、日本でフラはかなりのブームになっていました。しかも、すでに日本でハワイのフラの権利をおさえていた協会があったので、勝手にハワイの先生に連絡したら、強烈なバッシングを受けてしまったんです。

ハワイの名前を使うには結構なお金が必要と言われてしまい、私と友人は協会から除名されることになりました。すごくつらいことでしたが、そのおかげで直接ハワイの先生たちと繋がれるようになったので、結果オーライですね。

その後、夫と離婚してからは、フラだけではなく、ロミロミというハワイアンマッサージも習い始め、仕事として提供するようになりました。

なくしたくない文化を繋ぐために

八丈島では、仕事の他にも色々なボランティアをしていました。小学校で英語を教えたり、遠泳の時の海難救助隊をやったりしていたので、子どもとの交流は多かったです。

その一方で、島のおじいちゃんたちの話を聞くのも好きでした。ためになる話が多くて、私だけが聞いているのはもったいないから、島の子どもたちにも話をしてほしいと思っていました。

しかし、おじいちゃんたちは、「孫は孫の時代だから」と言って、あんまり話そうとしていないんですよね。八丈島で盛んな園芸の話をしてほしいと頼んでも「島に帰ってこないほうが孫の幸せ。園芸の仕事を継いだら苦労する」と、ポツリとこぼすんです。

私が子どもたちと話している感覚だと、子どもはおじいちゃん世代の人ともっと話したがっているんですけど、親世代が子どもには島を出てほしいという雰囲気を醸し出していました。

八丈島の伝統である園芸は、おじいちゃん世代が支えていますが、人口が減り後継者がいなくなったら、なくなってしまう文化です。私はそれをなんとかしたいと思いました。

ハワイには、一度失われた文化を取り戻した歴史があります。アメリカに併合された後に、自分たちの文化や言葉を失ったんです。しかし、その後、アイデンティティを取り戻そうという動きがあり、文化を復活させ、現代まで受け継いできました。そういう事例があるから、八丈島でも文化を繋ぐことはできると思ったんです。

ちょうど、友人が文化を次世代に繋ぐプログラムをハワイで作っていたので、八丈島とも共同でやってみようという話になりました。まずは、八丈島の高校生2人をハワイまで連れていって、現地の大学生と交流する機会を作りました。

ハワイの大学生は色々な話をしてくれました。クレアナやラウリマの話。自分たちのルーツが一度は失われたこと。自分たちの両親や祖父母世代の頑張りで受け継ぐことができたこと。

さらに、「八丈島にも、失われてほしくないと思うことあるでしょ。それは、あなたたちがこのまま何もしなかったら、必ず失われてしまうよ。だとしたら、今からやることは分かるよね?」とはっきりと言われました。

子どもたちにとっても、私にとってもすごく衝撃でした。参加した2人の高校生は、家政科と園芸科に通う高校生でした。2人の学科は共に人数が少なくて、後輩が一人も入らなくなり、廃止される可能性もありました。

二人は、ハワイから帰ってすぐに島の人たちに話を聞き、家政科と園芸科を希望する人がどうしたら増えるか、策を練り始めたんです。話を聞くと、どちらの学科も希望する中学生はいても、普通科と比べて学力に劣るイメージがあって親から避けられてしまうことが多いと分かりました。

それで、学科で学ぶことなどを、中学生や親向けにしっかり広報しました。その結果、希望者を増やし、10人ほどの入学者を作ることができたんです。

八丈島とハワイの子どもの交流に大きな意味があると感じて、その後も続けることにしました。

アウトサイダーだからできること

現在は、ロミロミのセラピストとインストラクターをしながら、島の子どもをハワイに連れて行く交流プログラムも続けています。今年で5年になりました。また、最近では高校の地域コーディネーターとして、学校と社会をつなぐお手伝いもしています。

ロミロミは、人の骨や筋肉、精神を本来あるべき場所に戻すような施術です。特徴は、自然の環境と人とを繋ぐため、薬草や石、木、など自然のものを使うことです。その土地に合った薬草を使い、八丈島だと、ウコンやティーリーフ等を使います。香りを出すために使うこともあれば、身体に乗せたり巻いたりすることもあります。自然の循環を意識して、その人の中に何かを入れるのではなく、持ちすぎているものを引いていくという考え方で施術しますね。

ハワイでは、ロミロミの効果は、施術を受けた本人だけでなく、そこで暮らす人たち全体にあると考えられています。それが「コミュニティ・ヒーリング」と呼ばれる考え方です。身体と自然が繋がる感覚を取り戻してもらうことで、人同士も、自然との関係も、より良くなると考えられています。ロミロミを通じて、八丈島のコミュニティを活性化させられたらと思います。

私は八丈島の人たちに育ててもらった感覚が強いので、おじいちゃんたちが持っている素晴らしい考え方や文化を、次の世代にもしっかり残していきたいと考えています。子どもの親世代は、八丈島を出ていった方がいいという人も多いんですけど、私は島に戻ってくる人を増やしたいですね。

昔は島に戻ってきたら負けみたいな空気があったようですが、今はそうじゃないと思うんです。一度外の世界を知り、力をつけて、島のためになることをするのは、全然あり。島に今ある仕事を継がなくても、島のためになる仕事を生み出す道だってあると思います。

島の外から来た私が言っても説得力がないし、嘘っぽく聞こえるかもしれないので、言うべきかはずっと悩んでいました。島の人間にもなりきれないし、都会にも戻れない、中途半端な自分の人生って何なんだろうなと思っていました。

でも、アウトサイダーにしかできないこともあると気づきました。私にできることを言うべきだし、やるべきだといます。それが、私のクレアナなんだなって、心から感じます。

ハワイも好きなんですけど、移住しようとは思わないですね。あくまで私の生活の場は八丈島。ハワイは学びの場と捉えているので、年に3カ月くらい学びに行きたいです。

なんで八丈島のことをこんなに考えてしまうのか、自分でもまだ模索中です。ひとつあるのは、地元の子どもたちとの繋がりです。私自身には子どもがいないけれど、地域の子どもがみんな自分の子どものような感覚なんですよね。その繋がりは絶対に外せない。

「子どものために何かしたい」という正義感ではなくて、単純に面白いんです。これから何が起こるか分からない渦中の中に一緒にいられるのが、好きなんです。だから、これからも八丈島の子どもと未来のために、私のクレアナをやり続けます。

 

 

栗田 知美 くりた ともみ

八丈島とハワイの子どもを繋ぐセラピスト、アイランドコーディネーター。

八丈島の「hanalimapono (ハナリマポノ)」にてロミロミを提供する。

 

 

この記事は「another life. 国境離島の暮らしCH (外部サイト)」 より転載しています。

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