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(種子島)島の自然の美しさをたくさんの人に伝えたい。 種子島ではじめた新たな挑戦。【another life. 国境離島の暮らしCH】

2019年10月4日

another life.

鹿児島県の種子島で、シーカヤックツアーガイドとして美しい海やマングローブ林を案内する三野さん。学生時代に知った「自然と一緒になって遊ぶ楽しさ」。大事故に遭い、歩くこともままならなかった日々を克服し、再び自然に向き合えたあと、縁もゆかりもなかった島に拠点を移した理由とは? お話を伺いました。

 

恩師に教わった、自然と遊ぶ楽しさ

香川県の瀬戸内海に浮かぶ周囲20kmの小さな島・広島の出身です。実家は石材採掘業を行っており、子どもの頃から「いつかは石屋さんの跡を継ぐんだろうなあ」という思いの中で、10代の頃から都会への憧れがありました。

そこで、高校卒業後は東京にあるスポーツジムのインストラクター養成専門学校に進みました。従兄弟がその学校に通っていた時に見に行ったことがあって、ひたむきにトレーニングに打ち込んでいる学生の姿がとてもかっこよく、自分もそこに行きたいと思ったんです。

入学してからはライフセービングのクラブチームに入りました。そこで知り合った恩師からライフセービングとは何かを教わりましたね。熱い気持ちを持ち、仲間とトレーニングする日々は最高の青春でした。

いつの日かライフセービングの本場、オーストラリアに行ってたくさんの事を学び、ライセンスを取得して更なる自分に挑戦したい。そんな目標がありました。ですが、諸事情で専門学校を1年で退学することになり、これまで学んだことを実践で生かそうと思いスポーツクラブで働き始めました。

社会人としてたくさんのことを学び経験させていただく、充実した日々でした。しかし、オーストラリアに行く目標は未だ諦められませんでした。結局、その仕事を2年ほど続けた後、実家に戻りお金を貯めてオーストラリアに行こうと思い、帰省しました。

これまでのスポーツはもうできない

実家で石材採掘業に携わってから、不景気の現状を目の当たりにして、少しずつ考えが変わってきました。「海外旅行資金を稼ぐために働く」から「この仕事で海外進出しよう」と思うようになったんです。そんな思いをもとに、事業を拡大するため営業で全国のいろいろな場所に積極的に足を運びました。様々な方に出会い勉強させていただく中で、ご注文をいただくようになり、関東にも進出することができました。

仕事も楽しくなって、経営も軌道に乗り始めた23歳の時、採掘現場で事故を起こして大怪我を負いました。
頭蓋骨陥没骨折、大腿四頭筋切断、大腿骨解放骨折、身体の至る所を骨折。全く身動きが取れなくなるような、ひどい怪我でした。

医師には、「これまでやっていたスポーツはもうできないし、今後、歩行困難になる可能性があります」と告げられました。それを聞いたときは、「この先、自分は生きる価値があるのだろうか」と弱気になりました。

でも、落ち込んでいる期間はそんなに長くありませんでした。それは本当に、いろいろな人のおかげ様です。家族をはじめ友人知人、考えられないほどいろいろな人がお見舞いに来てくれました。そこで、自分はこんなにたくさんの人に支えられて生きているのだと気付きました。

それからは、気持ちが前向きに変わっていきましたね。医師に何を言われようが「今、自分ができることを精一杯やろう!」と自分自身の身体と向き合いました。

毎日、今日の目標を決め、全く動かない足をマッサージしながら「今日はこれだけ動かそう!」と決めて
リハビリに励み、次の日は「昨日これだけ動いた。今日はもう少し動かしてみよう」とチャレンジするんです。リハビリを行った結果、その積み重ねで少しずつ歩いたり走ったりと、身体が動くようになり筋肉もついてきました。これには担当医もびっくりしていましたね(笑)。しかし、激しく肉体を使う石材採掘業への本格的な復帰は厳しいのが現状でした。

リハビリを経て再び自然の中へ

石材業界では自分自身の目標を達成できない、復帰できない。悔しい思いと、これまでお世話になった石材業者様との付き合いができなくなる心残りがありました。そんなことを思いながら、リハビリのために山登りを始め日々、自分自身と向き合いました。この先の事を考えると、肉体労働よりもともと好きだった料理の道に行こうと考えました。ある会社から内定を受けましたが、同時にアウトドアショップの先輩からもオファーをいただきました。悩みましたが、最終的には、やはり自然と関わる仕事がしたかったためアウトドアショップで働くことに決めました。

新しい職場である、四国最大のアウトドアショップは3店舗あり、トレッキングツアーガイドのサポートをさせていただきました。そこではアウトドア商品や衣類を扱っていて、カヤックやクライミング、トレッキング、キャンプなどの知識を学び、たくさんの経験をさせていただきました。

そんな中で次に出会ったのが、ラフティングでした。島出身でライフセービングの経験があったので、ウォータースポーツには少し自信がありましたが、四国の吉野川でのラフティングは別格でした。透明度の高い美しい川は想像以上に過酷で、川の恐ろしさを知りましたね。でも、それ以上の楽しさを知りました。

そして、日々のトレーニングを惜しまず、シーズン中に日本最大の激流を楽しく安全に案内するラフティングガイド達がとてもかっこよく見えました。翌年にはラフティングガイドに挑戦したいと思い、更なるトレーニングを重ねラフティング会社へ移籍しました。そんな中、ベテランガイドからカヤック&ラフトの技術をニュージーランドで学ぶことを勧められ急遽、行くことに。ビザを申請して、ワーキングホリデーで入国できる年齢を過ぎる2日前に、バタバタで入国しました。

入国したものの、さてどうしよう?という状況でした(笑)。所持金は40万円。この資金で自分を試す、異国での挑戦が始まりました。

とりあえず、幅広く行動できるように車と連絡手段の携帯電話を探し始めました。ニュージーランドでは冬の始まりです。最初に携帯電話を契約して、銀行口座を開設しました。その後、キャンピングカーを30万円で購入して、そこで寝泊まりしながらの旅が始まりました。

あっという間に所持金がなくなり、入国したのが冬だったのでラフティング関係の仕事もありません。農家からレストランまで連絡を取りましたが、タイミングが合わず仕事は見つかりませんでした。

しかし、自分自身の中で、ニュージーランドでは日本でできることはしないと決めていました。例えば、日本人が集まる場所での仕事です。ニュージーランドに居るからこそできる経験を積むためにこの場所に来たんです。その気持ちに妥協して方向性を変えるのならば日本に帰ろうと思っていました。

しかし正直、孤独との戦いでしたよ(笑)。不運にも車が壊れ、修理代に3000ドルと言われました。日本のように代車の貸し出しもなく、しかたないのでステイしていたキャンプ場まで、約25キロをヒッチハイクしながら向かおうとしました。

止まってくれる車はなく、日が暮れてしましました。異国の地で頼る人もなく途方に暮れていると、一台の車が止まり運転手が「どこに行くんだ!乗っていくか?」と声をかけてくれたんです。その方はステイしていたキャンプ場の近くに住む方で、御好意で夕飯とお酒をご馳走になりながら、楽しい時間を過ごさせていただきました。

時間が有り余っていたので、翌日、何かお返しをしようと、再度その方の家を訪れました。最初は「お礼なんて」と遠慮されていましたが、「じゃ、家の窓ガラスを掃除してもらえる?」とガラス拭きを依頼されました。感謝の思いで誠心誠意、ピカピカに磨き上げました。すると、その後から運気が好転していったんです。

以前応募していたキウイの工場から、短期でいいから来てほしいと連絡をいただき、3日間限定で、仕事をさせていただきました。さらに、一番行きたかったラフティング会社の社長から直接連絡があり、「うちの会社でトレーニングしないか?」とオファーをいただけたんです。

翌日からトレーニングが始まり、がむしゃらに取り組みました。数人いたトレーニング生も気付けば2人になるほど厳しい環境のトレーニングでした。しかし、この会社のガイドたちは、最高の技術を維持するために日々のトレーニングに向き合う素敵なチームだったので、貴重な時間を精一杯前向きに過ごすことができました。

あっという間に日々は過ぎ、気が付けば10カ月の滞在で、カヤックと装備品、二代目の車を購入でき、約30万円ほど貯金もできていました。ニュージーランドにたくさんの感謝をしながら帰国したのち、大好きな海の近くで過ごしたいと思い、次はハワイに行きました。日本と海外を転々とする生活の中で、たくさんの事を学ばせていただきましたね。

種子島の大自然に魅了され、移住

そんな生活をする自分をこれまで支えてくれた女性と結婚して、子どもを授かることができました。帰国し都会に移り住み、子育てと都会の新たな生活に奮闘しました。ただ、自然と関わりたい気持ちはずっと持ち続けていたんです。そんな自分を見て、妻が「やりたいことができる場所を見つけて来て」と背中を押してくれました。

自然が残っていて、自分が魅了される場所を探す中で、種子島と出会いました。種子島には知り合いもおらず、ツテもありませんでしたが、なぜか島の美しい海と風景に魅了されている自分に気付きました。これまで見てきた海外の風景に似ていて、初めて来た日本の島のはずなのに、何だか懐かしい匂いがして。この島で、家族を迎え入れる基盤を作っていこうと決めました。

まず単身で種子島に移り住み、縁もゆかりもない場所で、これまでの経験をもとにカヤックツアーガイドをはじめました。「自分らしいツアーをどう行っていくか」を考え、毎日のように島を知るための冒険に出かけました。すでに種子島でカヤックツアーを行っていた先輩ガイドの方々にもたくさん島のことを教わり、更なる魅力を感じながら、自分がこの島で、できることを探し続けました。空いた時間を利用して家族で海外へ行き、同業者のガイド達がその場所の魅力をどうガイドして参加者を楽しませているかを勉強することもありました。いろいろな場所でツアーに参加し素敵な体験をさせていただきましたが、種子島の豊かな自然はそれに負けない美しさがあると感じました。それを、自分らしいガイドでご案内しようと決意したんです。

年々、参加者も増えさらに島内でカヤックに興味を持つ方々が増えていきました。シーズンオフは農業・林業・建設、建築業などに携わり、さらに自分の知らない種子島を教わりました。集落での活動もたくさんあり忙しい日々ですが、自分がこの場所で生活する中でなくてはならないつながりと助け合いに喜びを感じるようになったんです。

ここでできることを全うしたい

現在は、LuluSunという屋号で、種子島のシーカヤックツアーを行ってます。美しい海やマングローブ林を案内し、この島の自然を余すことなく伝えていきます。お客さんに「丈、楽しかったよ」と言ってもらえる瞬間が嬉しいですね。リピーターになってくれる方も多いです。

実は2018年に、これまで作りあげてきた屋号を始めたくさんの物を失う悔しい出来事もありました。しかし、そんな苦しい状況の中でも家族、島民の方々、友人、知人、これまでツアーに参加してくれた方々が支えてくれました。波乱万丈な人生ですが、どの局面でも人に支えられて導いていただいていると感じています。そうした人たちとの出会いがあるから今の自分があり、自分自身を何とか前向きに変えて頑張れています。

種子島に移住して10年、自分の夢やここですべきことをしながら、人との助け合いの中での喜びを感じて生活しています。これからも、多くの人にこの島の美しい自然を伝えて行きたいですね。そうすれば必ずまた、目標に向かった新しい世界が開けると信じています。

三野 丈

みの じょう|シーカヤックツアーガイド
鹿児島県の種子島で、シーカヤックツアーを行うLuluSunの代表を務める。自らシーカヤックツアーガイドとして、多くの人に島の自然を伝えている。

 

2019.09.06

インタビュー | 島田龍男

この記事は「another life. 国境離島の暮らしCH」より転載しています。

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